インタビュー
コロナ禍で何を”得た”のかvol.01/再確認できたもの ー神戸の繋がりの真価と古くからの知恵
玄斎(げんさい)
上野直哉さん
神戸の山手に、カウンター10席の食通に愛される落ち着いた日本料理店がある。しなやかな考えと先を読む鋭い勘で、コロナ禍に対峙した料理人の店主・上野さんに、神戸の飲食店救済のため署名活動の舞台裏と、自店で提供した棒寿司で見直した知恵について伺った。
瞬く間に広がった署名の輪に、神戸の繋がりの強さを実感
コロナの影響で休業を余儀なくされた数多くの飲食店。神戸の魅力ある飲食文化の灯を守るため、料理人有志が家賃補償と人件費補助を求めて、4月半ばに神戸市と兵庫県へ3,255人の署名と共に要望書を手渡した。この「がんばろう!食都神戸〜輝きを取り戻すKOBE飲食店の会〜」の活動がきっかけとなり、兵庫県、神戸市ともに飲食店に対する経済的支援を発表。民意が行政を動かした活動は、苦境に立つ飲食業界を勇気づける一歩となった。
上野さんは、代表発起人の一人としてこの活動を束ねて動いた。始まりは、ル・セット依田シェフから「市議会の先生との話し合いに行くので、一緒に来てください」と声をかけられたこと。「シェフのお誘いとあらば、行きますよ」と快諾してから、話を聞くと大きなことで、本当に実現するとは正直思っておらず、小さなお店の気持ちを集めて、何とか国や行政の耳に入れてもらえるだけでいい、と考えていた。
ところが、蓋を開けてみると、2,000人の目標人数に対して、3,255人の署名が集まった。4月10日に呼びかけてから、わずか4日間でだ。大阪での署名活動の前例があったことで、飲み込みが早かったことはあったと思うが、このスピードと広がりには、発起人一同がびっくり。Facebookのグループを作って情報をシェアしやすくしたこと、飲食店のみならず愛するお店を守りたいというお客様まで巻き込んだこと、Google formを活用するなど署名しやすい環境を整えたことが、この数字を達成した理由だろう。
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振り返って上野さんは「神戸って、新しいことが起こっても様子見する印象だったから、今回の反応の速さには驚きました。負け戦覚悟だったのにね」と語る。
また活動の背景として「飲食店業界は、こういう事態に、一番先に影響を受けて、一番最後まで尾を引く業界。生産者さんはもちろん、市場の人、おしぼりや酒屋などの業者さんなど、関わりのある業種が広く、1店舗が倒れれば、その影響は結構大きいんです。コロナが終わって、飲食店がバタバタ廃業する事態は避けないといけない。そうでなくても神戸は経済が停滞していたのに、追い打ちになりそうで、危機感を感じました。飲食も文化芸術の端っこをかすっていると思うので、それが消えたら神戸は寂しくなってしまう」と話した。
決して、飲食店業界「だけ」を救済してほしい、と訴えるつもりはなかった。「国や行政が守るのはどうしても大企業から。だからこそ声を上げることで、街場にも目を向けて、小さい店の気持ちを守りたかった。その気持ちを届けられたことに、今回の活動の意義があったと思う」と語る上野さんの表情は、とても穏やかだった。
上野さんは市長への要望書提出の様子をFacebookグループでライブ配信するなど、情報の共有にも力を発揮。テレビや新聞でも報道され、自店のInstagramのフォロワーが1日100人以上増えたのも、今回もう一つびっくりしたオマケだった。
持ち帰り用の「棒寿司」で、昔の知恵の豊かさに驚く
次に伺ったのはご自身の日本料理店「玄斎」での話。コロナの影響を初めて体感したのが、2月の初め。NHKの料理番組収録の為に、東京へ行った時、空席だらけの新幹線や閑散とした品川駅に驚いた。家であまりテレビを見ないので、正直最初は、なぜ外国の話を日本で騒いでいるのか分からなかったほどだった。
お店は3月半ばから徐々にキャンセルが増えたが、営業は継続。4月7日の緊急事態宣言が出てから、通常営業をやめ、予約もお断りした。
テイクアウトについては、3月半ばから何を提供するかじっくり考えていた。「有事だから、あるもので何とかしたいと考えていました。きれいな折り詰め弁当を作るようなことはしたくなかったんです。自宅に持ち帰って、器に盛り替える。お弁当の味気なさは、そうやってカバーしてほしかったし、そのひと手間を楽しんでほしいと思いました」
家族は「閉めてもしゃーない」という反応。家賃と人件費などかかる経費はかかるし、
国の救済の遅さにイライラするより、体を動かしている方が、気がまぎれるというのもあり、閉める(休業する)気は全くなかった。
「以前から『神戸マルシェ』や『プラリ呑むフライデー』『満月バール』といった神戸のイベントや、親しい店とのコラボなど、何かしら動いて行くことで、お客さんにおもろい店やなぁと思ってもらっていたので、コロナでも何かし続けて、店の名前を忘れてほしくなかった。幸いスタッフも普段から店主の思いつきに付いて来てくれているので、テイクアウトをすることになっても、すんなり受け入れてくれました」と笑った。
4月2日に筍の若竹煮を持ち帰りで始めたのを皮切りに、当初は4,000円のお弁当などを作っていた。世間もまだイベント的な空気感で、ちょっと珍しいものや高級なものも売れる雰囲気だった。しかし上野さんは「これは長くは続かない」と考えていた。
外出自粛の状況が続くと、どんどん人の気持ちも考え方も変わってくる。それを予測し、想像して、考えた次の手は、シンプルな焼魚弁当など、「日常のちょっといいもの」の提供だった。そして、5月に入って季節的に食中毒のリスクも出てきた頃に、切り替えたのが「棒寿司」だった。
棒寿司を作るところを取材で見せていただいた。酢締めして一晩置いた鯵(アジ)を、木の芽、昆布、寿司飯と一緒にギュッと巻く。巻き簾を外すと、目にも麗しい鯵の棒寿司が現れた。一口いただくと、ふっくらと肉厚な鯵と、穏やかな味わいの寿司飯が一体となって、しみじみと美味しい。
その棒寿司を包むのは、竹の皮。お酢の力と竹の皮の抗菌作用で、食べ物を腐りにくくする昔からの知恵だ。テイクアウトの急増で包材不足になることは目に見えていたし、ゴミが増えるのも嫌だった。その点、竹の皮は豊富にあり、捨てても燃えて、土に還る。しかも、折り箱と違って振り回しても、形が崩れないと、いいことづくめ。包みを結ぶ紐さえ、竹の皮の端をスーッと包丁で切って作れるのだ。
「寿司屋でもないのに、お客さん買ってくれるんかな?」と思っていたが、予想に反してお客さんは「玄斎の棒寿司」と珍しがってくれて、連日予約が相次いだ。「お寿司って、食卓の邪魔にならないというか、洋食が並んだテーブルにあっても、ちょこっとつまめるし、副菜的にも主菜にもなる。とっても具合のいいメニューやなと感心しました」
外出自粛は、自分の住まいの近くに、何があるか、どんな店があるのかを知るいい機会になったのでは、と感じる。実際、テイクアウトの小さい張り紙を見て来られて、「また落ち着いたら来ます」と言ってくださる方もいた。「小さい生活」をしたからこそ、見えてくるものがある。
※玄斎のテイクアウトは、2020年5月31日で終了しました。
コロナを経て、お客様の求めているものが少し見えてきた
緊急事態宣言が解除され、まずは感染拡大防止策として家族単位の予約に限定したり、客席数を減らしたりしながら、少しずつ営業を再開していくことに。
「コロナでいつもと違う料理を作ってみて、変な職人の気持ちが邪魔して捨ててしまったところに、お客さんの需要があることを発見したんです。キラキラしたものを、どや!と見せる料理よりも、『これな、これおいしいよな』という、安心感や落ち着き、普遍的なものというか。これは発見でしたね」
また、コロナでご自身も帰宅時間が早くなり、夕食を毎日家族一緒に食べる日が続いた。これは、今までの人生で経験できなかったこと。お客様の日常を体験することができたのだ。料理人として、お客様の非日常を担ってきたが、その違いを体験できたことで、気づいたことも多かった。
弱いところ、強いところ、色々と見えた。神戸の店や人の繋がりの強さ、昔からの知恵の素晴らしさ、お客様の日常に身を置くこと。気づきは、きっと考えを変え、これからの「玄斎」に生きてくるだろう。
このタイミングで、新店をオープンさせる人もいる。街場はたくましい。世の中が落ち着いたら、街の中で、食べて、飲んで、存分にしてほしいと願う。
写真:濱 章浩、文:松本有希(神戸デザインセンター)